2014年のソチ五輪の後、モーグルの上村愛子選手が現役引退を表明されました。長年金メダル候補と目されながら、最後まで表彰台に上ることは叶いませんでしたが、競技終了後の晴れやかな表情はとても印象に残っています。
実は、上村選手は重度の外反母趾患者です。症状はかなり深刻で、10代で既に引退を考えていたほどだといいます。しかし、あるブーツとの出会いによって、彼女の選手生命は10年以上伸びることになります。そのブーツを作っていたのが、大阪のレクザム社でした。
足に優しいスキーブーツ
レクザム社の林末義さんが上村選手と出会ったのは2001年。上村選手が酷い外反母趾に悩んでいることを知り、「よかったらうちのブーツを履いてみませんか」とオファーしたのがきっかけだそうです。しかし、実際に彼女の足を見て林さんは愕然とします。なぜなら、その時の彼女は「変形した足がスキーブーツから飛び出しそうなくらい」最悪の状態。それでも、彼らはひるむことなく彼女のためのブーツ作りにチャレンジします。そして、出来上がったブーツは1足目から見事にフィットするのです。その背景には、レクザム社の職人的なブーツ作りのスタイルがありました。足の幅、シェルと呼ばれるブーツ外側のプラスチックの硬さ、インナーの種類を足の形や技術レベルに合わせて組み合わせていく独自の方式は、今までにない足に優しいもの。つまり、製品作りの基本に上村選手の悩みを解決する全てがあったのです。理想のブーツを手に入れた上村選手は、2002年のソルトレーク五輪で6位入賞。2003年のワールドカップ(W杯)では初優勝と、大躍進しました。
外反母趾のトラウマを乗り越えて
しかし、モーグル競技における採点でカービングターンの技術がポイントになってくると、理想のブーツにも限界が出てきます。ところが、上村選手はなかなかニューモデルに切り替えようとしません。それほどまでに、彼女にとって外反母趾のトラウマは大きなものだったのです。ついに痺れを切らした林さんは「勝つ気がないなら、サポートはしない」と強い口調で迫ります。このことでようやく上村選手は一念発起。最新型のブーツに切り替えてカービングターンをマスターし、2008年W杯で日本人初の総合優勝を果たすのでした。
一時は足に麻酔注射を打って練習していたという上村選手。あの愛らしい笑顔の裏に、そんな壮絶な苦労があったとは驚きです。外反母趾に屈することなく、素晴らしい競技人生を全うした彼女と、そんな彼女を影で支えたレクザム社の皆さんに、心から拍手を送りたいですね。